八代亜紀さんのご家族についてお伝えします。
八代亜紀さんには兄弟はおらず、一人娘で育てられています。
ご両親、父親・母親は脱帽してしまうほどの人物なんですね。
そして、そんなご両親に育てられた八代亜紀さんのデビューまでの生い立ちも含めお伝えさせていただきます。
今回は、【家族】八代亜紀の両親(父親・母親)に脱帽!デビューまでの波乱の生い立ち!という内容ですのでご覧ください。
八代亜紀の両親(父親・母親)家族構成!

八代亜紀さんの家族構成をお伝えします。
- 父:橋本 敬光(はしもと けいみつ)
- 母:橋本 タミ子(はしもと たみこ)
- 八代亜紀(本名:橋本 明代・はしもと あきよ)
八代亜紀さんは3人家族です。
冒頭でもお伝えしましたが、兄弟はおらず一人娘になります。
また、八代亜紀さんは1994年、44歳の時にマネージャーの増田登さんと結婚されましたが、2021年に離婚されています。
子供はおられませんでした。
では、ご両親について見てみましょう。
八代亜紀の両親(父親・母親)に脱帽!
八代亜紀さんの父親は熊本県出身で母親は沖縄県出身です。
おふたりは20歳前後で駆け落ち同然で結婚され、一人娘の八代亜紀さんが誕生しました。
そんな一人娘の八代亜紀さんを大事に思いながら、しっかりとひとのあり方を自然と感じるようなご両親だったようです。
そんな父の教えが、
だったということ。
そんな親の言葉を実感できる出来事がありました。
知らないおじさんが家に!
父は曲がったことが嫌いで、弱きを助ける人でもあったから、橋のたもとで寒そうに震えている人がいると家に連れてきちゃうんです。
引用:毎日が発見ネット
八代亜紀の父親は、橋のたもとで住むところが無くなった人がいると言えに連れてきて世話をしていたというんですね。
お父さんは、
『寒でしょ?うちに来なっせ』
と言って連れてくるそうです。
それも、一度でなく何度も何度も連れてくるといいます。
ホームレスのおじさんだったの
連れて来ていたのはホームレスの方で、
と世話をしていたそうです。
そして、1か月ほどすると、みんな礼も言わずに出ていってしまうというんですね。
そるとお父さんは、
と、八代亜紀さんは、不満ひとつ言わない両親に胸を打たれたといいます。
そんな両親の背中を見てきた八代さんは「もう大尊敬です」と語っておられます。
八代亜紀さんのお父さんのいう「えこひいきはするな」というのが自然と身についているご両親の行動には脱帽ですね。
八代亜紀のデビューまでの波乱の生い立ち!
では、八代亜紀さんのデビューまでの波乱の生い立ちをご両親とのエピソードを交えてお伝えさせていただきます。
幼少期は画家になるつもりだった⁉
実は歌より絵の方が長いんです。
八代亜紀さんと言えば、フランスの歴史あるル・サロン展に5年連続入選する腕前で、画家としても活躍されていました。
八代亜紀さんのお父さんは若い頃は画家志望だったそうで、その影響で小さい頃から英才教育で凄く描かされたたといいます。
休日には、父と出かけては絵をかいたり、休憩の時には父のギターの弾き語りを楽しんだりしていたそうです。
お父さんの若い頃は、戦争で絵を描くどころではなかったので、娘に託したということです。
幼い頃は私も画家になると思っていたくらいです。
父親の影響がとても大きいんですね。
八代亜紀 歌手を目指す!

八代亜紀さんが歌手を目指すきっかけとなったのは12歳の頃。
父の買ってきた「ジュリー・ロンドン」のレコードでした。
ジャズシンガーだから、一流のスター歌手はジャズクラブで歌うのがステイタス。
八代亜紀さんはジャズシンガーを目指いしていたんですね。
八代さんと言えばハスキーボイスです。
これは父親譲りということ。
子供はみんな、かわいい声をしているのに、お父さんの声にそっくり…。自分だけがハスキーで嫌だな嫌だなと思っていた
しかし、八代さんにとって声に自信が付いたのはキャバレーで歌ったことでした。
父を助けたいとキャバレーへ!
八代亜紀さんお父親は運送会社を起こしていましたが、軌道に乗るまでが大変だったそう。
そして、「歌手になって私が助けよう」と中学卒業後、15歳なのに18歳とウソをついてキャバレーの面接を受けに行きます。
そして、キャバレーで歌うようになります。
「私が歌い始めると、エコーがかかってフロア中に(歌声が)流れたんです。そうしたら、全員が立ち上がってダンスを始めたの。お客さんがフロア中に集まって、その時に『私っていい声なんだ』って初めて思ったかな。嫌いだった声が武器になるなんて! 驚いたわ。」
八代さんが初めて自分の声に自信が付いた時でした。
父に勘当される!

八代さんはキャバレーで働いていることを父親には黙っていました。
すると、父親の会社の従業員がお客さんでキャバレーに来たことで父親にバレてしまい、
父「お前はいつから不良になったんだ!」
と父親のビンタが飛び、
八代「東京で歌ば勉強したか・・・・・・」
ますます逆上した父は、柱時計を投げつけたといいます。
もちろん、娘にあたらないようにです。
そうすると母が、
母「あんた、この子を殺す気ね?」
と、父の太ももに嚙みついたそうです。
父も譲らない、娘も譲らないという状況に父は、
父「なんで、そぎゃん頑固か!」
と問いただし、
八代「父さんの子だから」
と答えると、何も言えなくなりその場は収まったということですが、「出て行けっ!」て勘当されてしまったんですね。
こっぴどく怒られてしまったんですね。
この当時、八代さんはバスガイドの仕事をしていたのですが、恥ずかしいという理由で、バスガイドも辞めていしまいました。
16歳で上京!最初のデビューするも失敗!
父に勘当された娘を心配し、母親が東京目黒に住むいとこ夫婦に頼んでくれて、そこで暮らすようになります。
八代亜紀さん16歳の頃です。
しかし、そこは狭かったようで4畳半に新婚さんと川の字で寝ていたそうです。
快く受け入れてくれたそうですが、さすがに気まずかったでしょうね。
上京すると同時に音楽学校にも通っており、そのころに一度グループサウンズのボーカリストとして八代さんはデビューしていたそう。
しかし、全然売れなくて音楽学校も月謝が払えずに辞めてしまったといいます。
最高の仕事に出会う!
音楽学校も辞め、金銭面で苦しかった時期にある募集が目に入ります。
それが当時新宿にあった「美人喫茶」というもの。
◇美人喫茶:綺麗な女性がコーヒーを出してくれる今でいうメイドカフェのようなもの。
女優やタレントの卵のような美人ぞろいだったといいます。
そこでは、当時のコーヒーが1杯70円ぐらいの頃に600円もするお店だったそう。
そこで、ボーカリストの募集があったんです。
お給料は、バスガイドをしていたころが7000円だったそうですが、ここではギャラが10万円も貰えたといいます。
そうして歌っているうちに、銀座のナイトクラブから声がかかり、今度はギャラが20万円!
お金に釣られて銀座に行きました(笑)。
バスガイドの頃と比べると約28倍のお給料、当然のことなのかもしれませんね。
その後、3件ほど店を転々とし、最後は「エース」という店に落ち着いたそうです。
しかし、連日スカウトに追いかけまわされ、周りには「レコード出しなさいよ」と言われるようになります。
この時、同じクラブで五木ひろしさんが歌っていたそうで、芸能プロダクションを紹介されたということです。
八代亜紀 再度デビューを決めるも売れない日々…
八代亜紀さんは1971年「愛は死んでも」でデビューします。
デビューしようと決心したのには、
と思ったからです。
しかし、2年たっても全く売れませんでした。
そこで一大決心をします。
全日本歌謡選手権出場!そして120万枚の大ヒット!


八代亜紀さんは、一大決心して、全日本歌謡選手権にチャレンジしました。
これはプロアマ関係なく同じ条件で戦い、10週連続で勝ち抜かないといけない大会です。
この大会で見事に10週勝ち抜きに成功。
当時の審査員には、「ブルースの女王」と言われた淡谷のり子さんが審査員でした。
その淡谷のり子さんに、
『あんたの歌、嫌い』
と言われ続けながらも勝ち抜いたといいます。
その3か月後にリリースした『なみだ恋』が120万枚の大ヒットとなり、歌手としての新しい道が開けた瞬間でした。
八代亜紀の両親の現在!
八代亜紀さんのご両親のその後についてお伝えします。
八代亜紀の父との別れ

八代亜紀の父・敬光さんは、1991年2月15日62歳という若さで旅立たれました。
八代亜紀さんは父の生前、新曲のレコーディングが終わるとすぐにテープに収めて、いち早くお父さんに届けておられました。
そんな時はいつも玄関で娘の帰りを待っておられました。
しかし、父・敬光さんが亡くなられた年の新曲は、いつもの演歌ではなくポップス風の曲だったので、八代さんはそれをお父さんに言い出せなくて届けられなかったそうです。
お父さんは、その新曲の事をテレビで放映された新曲披露パーティーで知り、
「アキ、あれが新曲かい。よか歌だね。」
と喜んでくれたんですね。
その新曲を引っさげての九州ツアーの最中に父・敬光さんの具合が悪くなります。
毎日電話をして、ツアーの休日に実家へすぐに帰省。
するとお父さんは、
「アキ、きつかったね。早くおやすみなさい」
と優しく娘を迎い入れ、翌朝起きたときには息を引き取られていたということです。
その現実が受け止められず、親不孝をしたとずっと心残りだったといいます。
つらくて、「花束(ブーケ)」を歌い出すと泣けてきて…。
30年たった今でも父への思いは胸の中にあるということでした。
八代亜紀の母・タミ子の現在
八代亜紀さんは母親のことについては、生前あまり語っておられませんでした。
2016年に一度、母・タミ子さんが認知症で寝たきりだという報道がありました。
娘とあっても娘だとわからない状態だったといいます。
また、2017年に『徹子の部屋』に出演された際、母は89歳と語られていましたので、現在も存命でしたら2024年で96歳になられます。
八代亜紀の両親(父親・母親)に脱帽!デビューまでの波乱の生い立ち!まとめ!
今回は、【家族】八代亜紀の両親(父親・母親)に脱帽!デビューまでの波乱の生い立ち!という内容でお伝えさせていただきました。
八代亜紀さんのご両親は立派な方ですね。
そんな背中を見て育った八代亜紀さんは幸せだったと思います。









コメント