元警視庁捜査一課 佐藤誠警部補ですが、木原事件で重要参考人である木原誠二官房副長官の妻・木原郁子さんの取り調べを担当されました。
7月28日には記者会見では木原事件について語られ、その人情味ある人物だと感じられた方も多かったでしょう。
そんな佐藤誠警部補に迫ってみたいと思います。
ということで今回は、佐藤誠元警部補のwiki風プロフィールや学歴、そして経歴や現在の職場についてもお伝えさせていただきます。
佐藤誠元警部補のwiki風プロフィール!

- 名前:佐藤 誠(佐藤誠)
- 生年月日:1959年5月10日
- 年齢:64歳
- 肩書:元警視庁捜査一課警部補・退職時不明
- 出身地:不明
佐藤誠さんは元警視庁捜査一課殺人犯操作第一係(通称:サツイチ)の警部補として活躍しておられました。
このサツイチには警視庁内でもエース級がそろい、その中でも佐藤誠さんは「レジェンド」とも呼ばれていたようです。
「佐藤さんは捜査一課一筋18年。数多くの殺人犯と対峙し、『オトせないホシ(容疑者)はいない』と言われるほど一課に貢献しました。一課に1人しかいない取り調べの伝承官にも任命されている。伝説の“落とし屋”ですよ」
引用:週刊文春
とは、刑事ドラマに出てきそうです。
実際にそういったかたがおられるんですね。
佐藤誠元警部補の学歴!

佐藤誠元警部補の学歴をお伝えします。
佐藤誠さんの学歴について調べてみたところ、
高卒なのか大卒なのかというところが気になりますね。
警視庁と言えば、日本の首都である東京都を管轄します。
地方警察と同じ、地方公務員となるのですが、東京都には天皇陛下・総理大臣といった方々もおられるので、首都を守るという重要な役割を担っています。
例えば、テレビドラマなどで、大阪府警や警視庁といった名前を聞くと、「警視庁」の方がえらいと感じてしまいますよね。
なので、佐藤誠さんはやはりキャリアなのかなというところですが、実は、
なんですね。
なので、佐藤誠さんが高卒なのか大卒なのかはわからないんです。
ただ、経歴でも出てきますが、警視庁に入庁されたのは1983年なので、入庁が春なら年齢は23歳となり、大学を出ておられるかもしれません。

ちなみにキャリアというのは、国家公務員である警察庁がいわゆるキャリアというものです。
その代わり、採用されるの人数も少なくかなり狭き門となっており、入庁した時点で警部補、地方警察にある巡査という階級がありません。
では、次に佐藤誠さんの経歴についてお伝えします。
佐藤誠元警部補の経歴!

元警視庁捜査一課殺人犯捜査第一係 佐藤誠元警部補の経歴は次のとおりです。
- 1983年:警視庁入庁
- 2004年:捜査一課に配属
- 2018年:木原事件取り調べ担当
- 2022年:警視庁定年退職
佐藤元警部補は1983年23歳の時に警視庁に入られ、2004年45歳の時に捜査一課に配属されます。
それから18年間、”捜査一課一筋”でで職務を全うされていきました。
佐藤誠 伝説の落とし屋!
「捜査一課のレジェンド」とまで呼ばれ、捜査員に語りつがれる伝説もあるようです。
2005年には、その3年前のマブチモーター社長宅で社長夫人と長女が殺害された事件で逮捕された小田島鐵男の取り調べを担当。15年の埼玉県本庄市死体遺棄事件では指名手配されていた斎藤邦実の潜伏先を割り出し、自白に追い込んだ。
引用:週刊文春
それ以外にも、多くの取り調べで自白させる、まさに『伝説のオトし屋』なんですね。
佐藤誠 木原事件取り調べ!

佐藤元警部補は2018年6月、係長から、
「誠さんさぁ。申し訳ないんだけど、例の件の調べ官やってくれませんか。誠さんしかいないんですよ」
という声がかかり、当時重要参考人だった木原誠二議員の妻・木原郁子さんの取り調べを担当します。
この事件は2006年、木原郁子さんの元夫・安田種雄さんが亡くなったことが自殺と断定されたものの、2018年に事件性があるのではと再捜査が行われたもの。
そして、佐藤元警部補は事件性があると確信し木原郁子さんの取り調べを行うも、
上司である佐和田立雄管理官に、
突然の捜査打ち切り。
「俺は捜査一課で100件近くも調べをやってきたけど、これだけ流れができていたのに調べが取りやめになるなんて経験したことがない。悔しくて、頭にきたよな」
引用:週刊文春
この時にはすでに佐藤元警部補は、
「女にはできない」
引用:7/28佐藤誠記者会見
という感触を持っていたそう。
そして最後の取り調べで、
「あんたと会うことはもうないだろう。もうこれで調べを止めるから本当のこと言おうじゃねえか。お互い墓場まで持っていこう。今日はメモも取らねえから」
「はい」
「でも、俺も感じるところがあるんだけどさ。最後に答えてよ。腹の中で収めようじゃないか。あんた、殺(や)ってねえだろ?」
緊迫感が張り詰める。
「……(ゆっくり頷く)」
「あんた、そんなことできないよな」
(中略)
「俺の腹の中と同じだな。これはお互いの腹に収めてあんたもちゃんと生きていきなよ。今の旦那さんに尽くしていきなよ」
引用:週刊文春
最後は、犯人はあなたじゃないということを伝えたかったのでしょう。
佐藤元警部補のこれまでの経歴の内、これほど後味の悪かった捜査はなかったのではと感じるところです。
そして、多くの経歴・実績を残しつつ2022年に佐藤誠さんは警視庁を退職されました。
佐藤誠元警部補の現在の職場はどこ?

佐藤誠元警部補は2022年に警視庁を退職されました。
その後、どうされているのかということですが、会見でこう答えておられます。
佐藤誠元警部補は、警視庁を退職されてから2年間は警視庁で引き続き働いておられたようです。
会見でも2022年に警視庁退職と言われており、それから2年間では2024年になってしまいます。
なおで、退職後の2年を足したのが2022年なのかもしれません。
退職された後の2年間は警視庁でどんな仕事をされていたのかですが、
「一課に1人しかいない取り調べの伝承官にも任命されている。伝説の“落とし屋”ですよ」
引用:週刊文春
取り調べ伝承官に任命されているといいます。
◇伝承官
捜査員の世代交代が急速に進む中、捜査技能の伝承が課題となっていることを踏まえ、次世代を担う捜査員に捜査技能を習得させ、第一線の捜査力の維持・向上を図るため、警察では、捜査技能等が体系的に伝承されるよう、組織的な取組を進めている。
引用:警視庁
佐藤誠元警部補は、退職後、自身の持っている取り調べの技術を後輩たちに伝承されるように努めておられたのかもしれませんね。
そして、その後は『市役所の仕事をちょっと』ということなので、地域に貢献されるために働かれているではないでしょうか。
今回、7月28日の記者会見では、いろいろ言葉を選びながらも、被害者の家族を思いやるところがとても印象的でした。
佐藤誠元警部補のwiki経歴&学歴!現在の職場についても!まとめ!
今回は、佐藤誠元警部補のwiki風プロフィールや学歴、そして経歴や現在の職場についてもお伝えさせていただきました。
佐藤誠元警部補、木原事件では志半ばで、捜査が打ち切られ悔しい思いをされたでしょうね。
今回の記者会見では、遺族を想う気持ちと人情味などが特に印象的でした。
いい刑事さんだったんでしょうね。



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