桑原和男さんは吉本新喜劇の最古参として、長年親しまれてきました。
若い頃は、吉本興業以外で漫才をやっていたようで経歴も深堀してみたいと思います。
ということで今回は、桑原和男さんのwiki風プロフィールや経歴、合わせて若い頃は漫才で吉本じゃなかったということについてもお伝えさせていただきます。
桑原和男のwiki風プロフィール!

- 名前:桑原 和男(くわばら かずお)
- 本名:九原 一三(くはら かずみ)
- 生年月日:1936年2月23日
- 年齢:87歳没
- 身長:159㎝
- 職業:喜劇俳優(吉本新喜劇)
- 所属:吉本興業
- 出身地:福岡県北九州市
桑原和男さんは、1936年2月23日福岡県北九州市(旧小倉市)で生まれます。
漁師の家に生まれ、高校卒業までの夏休みはずっと漁に出ていたそうです。
そして1995年、私立常盤高等学校を卒業。
学生時代は教師を志し、福岡教育大学を受験しますが残念ながら不合格。
この大学不合格を機に、故郷を出たい思いから関西へ。
桑原和男さんは、夏には漁に出ていた海の男がお笑いの世界へってなぜ?と感じますが、実は桑原和男さんは船酔いが凄かったそうです。
なので、漁師になる選択肢はなかったんでしょうね。
では、高校卒業後は経歴で見てみましょう。
桑原和男の経歴!若い頃は漫才で吉本じゃなかった!

高校卒業後、大学受験に失敗してしまった桑原和男さんは漫才師へ弟子入りします。
桑原和男 お笑いの世界へ!「夢路いとし・喜味こいし」へ弟子入り!

1995年、桑原和男さん19歳の時、お笑いを目指し、
します。
この弟子入りも、7回断られ8回目の正直で弟子入りを許されたそうです。
今ではご存じない方も多いかもしれませんが、「夢路いとし・喜味こいし」の漫才は、ボケとツッコミの絡みのうまさはピカ一でした。
今でも、これほど上手い漫才師は少ないのではないかというほどのコンビでした。
桑原和男 初舞台!所属は「宝塚新芸座」!

そんな、「夢路いとし・喜味こいし」に弟子入りした桑原和男さん初舞台は1996年でした。
その時の芸名は、
『原あち郎・こち郎』
で、桑原さんは”こち郎”で活動されていました。
そして所属は、漫才脚本家秋田實さんが立ち上げた劇団「宝塚新芸座」に所属し漫才活動を続けます。
桑原和男 吉本新喜劇へ!

漫才活動を続けていた桑原和男さんですが3度のコンビ別れを経験します。
- 「原あち郎・こち郎」
- 「平参平・源五郎」
- 「中島大学・小学」
3度のコンビ別れを経験し、
と決意し、1961年『吉本ヴァラエティ』(のちの吉本新喜劇)へ入団します。
1964年には一世風靡しますが座長にはならず、1969年に吉本新喜劇座長に昇格します。

1972年には座長経験者が後進へ道を譲るために設置されていた「専科」に入ります。
専科というは、座を仕切る座長とは違い、その場を盛り上げる名脇役。
まさに「和子おばあちゃん」ですね。
桑原和男 のギャグ「ごめん下さい…お入りください…ありがとう」誕生!
和子おばあちゃんといえば、
のギャグですよね。
座長時代に夫婦の夫役を演じたとき、「ただいま~」とセリフを言ったところ、妻役の女優が「お帰り~」というのを忘れて芝居が止まってしまったそう。
そいて、アドリブで、
とアドリブで言ったところ、観客は大爆笑。
これが、このギャグの由来で、それから長年に渡って新喜劇の定番のギャグとして愛されてきましたね。
新喜劇が潰れる?『吉本新喜劇やめよっカナ?キャンペーン』

桑原和男さん活躍する吉本新喜劇に暗雲が。
1980年代に入り漫才ブーム、そしてダウンタウンが関西時代に活躍した2丁目劇場のあおりで若い世代から関心が薄れ、吉本新喜劇が下火になってしまいました。
そして1989年4月、新しく吉本興業本社制作部次長 木村政雄氏が吉本新喜劇の改革・再生をかかげ、世代交代と全国区に売り出すことが必要と『吉本新喜劇やめよっカナ?キャンペーン』を開始。
◇『吉本新喜劇やめよっカナ?キャンペーン』とは
1989年10月~1990年3月の半年間に18万人の動員ができなければ吉本新喜劇の解散するというもの。
当時このキャンペーンには驚きと寂しさがあって、応援してたのを思い出します。
吉本興業は、若返りを図るため座員一人一人と面談を行い、ベテラン中堅座員に通行人のわき役などもこれからはあり得るという旨を伝え、進退を考えてもらったそうです。
岡八郎さん・花紀京さんというベテラン勢が勇退を決める中、桑原和男さん・池野めだかさんなどは新喜劇に残る決断得をされます。
長年新喜劇で活躍していた舞台ですから、どんな役でもという覚悟と、愛着が桑原和男さんにはあったんだと思います。
『吉本新喜劇やめよっカナ?キャンペーン』の結果!

『吉本新喜劇やめよっカナ?キャンペーン』の結果は、今も存続していることから成功したということは想像がつくと思います。
キャンペーン開始当初は、いま一つ客足が伸びませんでした。
しかし、成功した経緯には大きな大改革がありました。
ダウンタウンの東京進出を機に2丁目メンバー加入!

当時2丁目劇場で『4時ですよーだ』で大人気だったダウンタウンが東京へ進出しました。

そのため、2丁目劇場が頭打ちとなり、そこで人気のあった、
- 今田耕司
- 東野幸治
- 130R
をメインキャストに、そして合わせて2丁目劇場から、

- 石田靖
- 辻本茂雄
- 吉田ヒロ
達も、新喜劇に加入。
この大改革が、マスコミにも大きく取り上げられ、ニュースやバラエティー番組でも話題になり人気を盛り上げました。
そのほか、
- 書籍「吉本新喜劇名場面集1959‐1989」
- ビデオ『保存版 吉本新喜劇 ギャグ100連発』
も、大きくマスコミに取り上げられ、見事1990年3月中旬に目標の18万人を突破することができました。
もし、このキャンペーンが失敗していたら、桑原和男さんのギャグもその時に途切れていたということですよね。
桑原和男2000年以降体調の変化が!

桑原和男さんは2000年7月64歳の時、急性心筋梗塞で手術を受けます。
その後、療養し12月には舞台復帰されます。
2003年頃には体調を崩して度々休演することもありましたが、体調に配慮しながら精力的に活動を続けます。
帰宅途中に倒れる!

2017年11月3日桑原和男さん81歳の時、インテックス大阪で開幕した「コヤブソニック」の吉本新喜劇に出演されます。
その際、小藪一豊さんに体調を聞かれ、
「あかん」
と、数日目に倒れたということを告白されました。
10月23日、祇園花月の出番を終えて電車で帰宅している途中、自宅最寄り駅から歩いていると、急に倒れたということ。
午後九時ごろ、帰宅途中に倒れてしまい20分ほど人も通らなかったそう。
そして、通りかかった男性に解除され、近所の知り合いの家で休ませてもらい帰宅したといいます。
翌日病院に入ったものの、
大事には至らなかったそうです。
桑原和男 2018年~
- 2018年5月 82歳:再び体調不良により休養に入る
- 同年9月:「コヤブソニック2018」に出演
- 2019年2月 83歳:吉本新喜劇60周年記念の特別公演「60周年だよ!よしもと新喜劇」に出演
- 同年9月:「コヤブソニック2019」に出演
- 同年10月:神戸市での地方巡業公演に2日間出演
- 2020年10月 84歳:「よしもと大笑い祭り寄席」に出演
この「よしもと大笑い祭り寄席」最後の舞台となりました。
最近では、2022年11月になんばグランド花月に出向き、車いすで新喜劇を観覧されました。
桑原和男 87歳で死去

2023年8月10日、神戸市内の病院で老衰のためお亡くなりになりました。
初舞台から67年、吉本新喜劇では65年間舞台で活躍されてきました。
「今」を自分の目で見て時流を読みつつ、「昔」の恩は決して忘れることがない吉本新喜劇のレジェンドで、人としても、皆の「教科書」だったといいます。
「芸名やなく、本名で死にたい」
これは、桑原和男さん還暦前に語った言葉です。
その言葉には、漁師の家い生まれたが、その仕事を継ぐことなく大阪へ出て芸人となったことへの、親に対する『謝意』の思いが込められていたそうです。
ご冥福をお祈り申し上げます。
桑原和男のwiki経歴!若い頃は漫才で吉本じゃなかった!まとめ!
今回は、桑原和男さんのwiki風プロフィールや経歴、合わせて若い頃は漫才で吉本じゃなかったということについてもお伝えさせていただきました。
子供の頃、学校が終わってから吉本新喜劇にかじりついていたのを思い出します。
桑原和男さんにはほんとに笑わせてもらいました。
とてもさみしい気持ちになります。
ご冥福をお祈り申し上げます。



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