映画「チィファの手紙」公式サイト » DIRECTOR’S INTERVIEW

岩井俊二監督は、『チィファの手紙』のキャストを次のように語る。

まず、主人公ユエン・チィファを演じた中国四大女優のひとり、ジョウ・シュンについては「生き方そのものが自然体。魂が自由。そんな方」と表現し、「自分の爪を水色にしたいと提案してくれました。その色が僕の中でもキーカラーになって、どこかでずっとこだわっていました」と語る。日本版では松たか子が快演したヒロインだが、たしかにジョウ・シュンはドラマティックな事態の推移に柔軟に対応するチィファのフリースタイルなありようを魅力的に妙演。ネイルの水色は、映画全体のカラーに対する差し色としてヴィヴィッドに機能している。なるほど、ジョウ・シュン自身が自由な魂の持ち主だったからこそ、本作は最後まで駆け抜けることができたのかもしれない。

また「さりげない仕草に深みのある人です。プライベートでは伊能静さんを奥さんに持つ方です」とは、イン・チャン役のチン・ハオのこと。日本版では福山雅治が体現した役どころだが、上海でくすぶっている売れない小説家をチン・ハオは、丹念な所作の積み重ねで精緻に表現。繊細さとこだわり、真剣さと包容力の同居した作家らしいキャラクターをリアルに出現させた。

回想シーンのチィファと、チィファの娘サーランの二役に扮したチャン・ツィフォンについは「才能に満ち溢れた若き女優です」と絶賛。「泣くシーンでは何度演じてもちゃんと同じタイミングで泣くのです」と続ける。中国版のタイトル『チィファの手紙』には、二重の意味がある。それは現代のチィファがイン・チャンに送った手紙。そして中学生のチィファが若き日のチャンに渡した手紙のことである。ツイフォンの涙が、チィファの失恋を名シーンにしたことは誰もが納得するだろう。

中学生時代のチィナンと、チィナンの娘ムームーを演じた美少女ダン・アンシーのことは「お姉ちゃん役でしたが、実は年下です。勘がよく、微妙なニュアンスも理解してくれました」と評する。物静かで、おしとやかなチィナンの内なる芯を、日本版の広瀬すずとはまた違ったタイプのキャラクターとして表現。岩井監督が言う通り、難しい感情の体現は、まさに理解力のなせる技だろう。

日本版では庵野秀明が演じたポジションを強烈なインパクトで見せつけるのは、ジョウ・ウェンタオ役のドゥー・ジアン。「いろいろユニークなアイディアのある人です。キレるシーンは現場が凍りつきました」と岩井監督は言う。たしかに、日本版ではバスタブにスマホを放り込むのに対して、ジアンがやったのは、スマホをシャワーで水責めした挙句、シャワースペースの床に叩きつけるという超破壊的行為。いつもはジェントルな物腰でいかにも優しげな夫に見えるだけに、あの落差は強烈。ここも『ラストレター』との大きな違いのひとつかもしれない。

映画『ラストレター』は、監督が初めて故郷、宮城県で撮影を行った作品だったが、『チィファの手紙』にはこんなエピソードがある。

「ロケ地の大連は母の生まれた場所だったので、僕にとってある意味、故郷です。そういう地で撮影できたのは忘れがたい想い出です」

つまり、このプロジェクトは、岩井俊二が「ふたつの故郷」に再会する旅でもあったのだ。大連を選んだのは、街並みや建物の印象からで、あくまでもまったく偶然ではあったものの、中国〜日本をまたぐ連作は、「呼ばれていた」側面もあったのではないか。

また、『ラストレター』と『チィファの手紙』の最も大きな違いについては、次のように話す。

「弟の設定が小説、中国版、日本版でだいぶ違います」

なぜ変わったかと言えば、中国映画として撮る上では「緻密なローカライズ」を意識していたからだ。

当初、チェンチェンはサーランの弟の設定だったが、一人っ子政策の時代に姉弟がいるのは不自然との指摘があり、貧しいチィナンの家にふたり子供がいて、きちんと届けを出さずに育ててきたというリアルなシチュエーションに変更。ムームーの弟となった。そのことで、母チィナンの死がチェンチェンに重くのしかかり、より奥行きのある展開が生まれたのだという。ローカライズを徹底したことで、映画的なシークエンス(終盤の夜間長回しはこれまでの岩井作品では見たことのない新境地だ)が誕生。有機的な成果へと結びついた。

なお、中国版と日本版では、撮影スタイルも異なっている。

「日本版は、エピソードをだいぶ削って、ワンシーンごとをゆっくり描きましたが、中国版は欲しいエピソードを全部撮影して、そこから編集で選びました。そこは少し贅沢させていただきました」

なるほど、場所やキャスト、夏休み、冬休みの違いだけでなく、クリエーションの根本に違いがあったのだ。同じ物語のはずなのに、「伝わり方」にかなり変化があるのは、おそらくこのことも大きいはずである。